カマリン像について
『来島に関わる伝説』
・16世紀スペインの植民地時代に島の南部(メリッソ)に難破した船から発見された。
当時、航海と船員の安全を守る目的で船に乗せられていたとの説。
・1668年にサンビトレス神父によってグアムに持ち込まれたとの説。
・メリッソの漁師が海岸で発見したとの説。これには2通りあり、海で発見した時カマリン像はキャンドルを持った黄金の2匹のカニに抱えられて海面に浮かん で来た。その漁師が像を手にしようとした時、沈んでしまった。漁師は自分が正しい信仰を身につけていないからだと悟りクリスチャンに戒心してから海に戻る とまたカマリン像が海面に浮かびあがり手にする事ができた。
または漁師が上着を来ていなかったので家に帰りきちんとした服をきて海に戻り手にする事ができたと言う話である。
『カマリン像本体について』
大きさは28インチ、重さは60ポンドとかなり小さい。
髪は人毛である。何度か修復された記録がある。
1894年と1930年にフィリピンにて一部の修復
1963年と1971年に全体の修繕
1983年と1992年に再度一部簡単な修繕がおこなわれている。
また1992年の12月に盗難に遭い、一ヶ月後に発見されるがかなりきずついており大規模な修繕の際に、カマリン像本来の色が明らかになった。それは現在のカマリン像に反映されていてピンクのドレスに青のガウンである。
『12月8日:聖母カマリン祭』
無原罪の聖マリアの祝日であるこの日はカマリン像がアガニャを巡礼する、島民85%がカトリック信者であるこの島にとって最も重要な祝日のひとつである。
また1941年の12月8日は日本軍による侵略の日でもある。(真珠湾攻撃も同日)
カマリン祭は侵略による犠牲者の記念日でもある。
『カマレーラとは』
カマリン像の世話をする責任者。マルキータ・トレスは2003年に亡くなるまで75年間カマレーラを勤め上げた。
『3度の盗難事件』
1度目は1968年5月19日、新聞の一面にも大きく報道され、大聖堂はカマリン像の返還を祈る人々で群がえした。グアム島のみならず捜査の協力は日本にも 依頼された。カマリン像
は無事大聖堂に戻されたが、当時の司教は誰が持ち出し、返還したのかは明らかにせず、事件は終止符をうった。
2度目はそれから3年後 1971年5月3日。教会関係者は速やかに返還すれば法的処置をとらないと公表。2週間後、無事にカマリン像はみつかった。
3度目は1992年12月28日。この際も大司教は返還するのであれば法的処置をとらないと約束。その
3ヶ月後の2月3日、公園管理局の職員がセレナ公園 の清掃を行っていたところ、誰かが彼に手を振っているのに気がついた。そちらの方を見てみるとそこにカマリン像を発見した。カマリン像が手を振って自分の 居場所を知らせたと噂になった話である。
《噂》
ーカマリン像の髪の毛が伸びるー
人毛だから出た噂である。
実際には伸びていない。
教会も否定している。
ー涙を流すー
これもよく耳にするが、噂である
また教会も認めていない。
《真実》
カマリン像はこの島の守り主である。
大半がカトリック教徒である島民は
心の底からそう信じている。
1940年:12月8日のカマリン祭、
像を乗せている山車にろうそくの火が移り燃え上がってしまった。
しかし像はまったく燃えることなく無傷であった。
実際に目撃した人々がいる。
1941年:12月8日
日本軍がグアムに上陸そして爆撃をうけた。
教会は日本軍によって侵略された。
ほとんどの聖人像が破壊されたなか、
一人の少女によって密かにカマリン像は持ち出され、
日本兵に疑われる事なく無事な所で保管された。
2002年:12月8日のカマリン祭
この年だけこの日が休日にならなかったのだ。
そのために大型台風に見舞われたと、
大半の信者が思っている。
(ただし、災害は大きかったが、死者は出ていないのも
彼女の守りのおかげだと信じている。)